あえて結論から書きますと、とてもじゃないですが人様に勧められるものではない。
僕はレーシック民。
ただ「今のところ」「まだ」難民ではない。
僕がレーシックをしたのはもう数年前。
眼科技術というのは他の医療分野と比較しても進歩がめざましいそうで、数年違えば他の分野で言うところの数十年違うとまで言われるそうで。
というわけで、僕の話はもう化石のような話かもしれない。
小さいころは、眼はいいほうだったと思う。
小学校の高学年で急激に眼を悪くして、その後の学生時代は0.1以下の視力で過ごしていた。
はじめはメガネをかけていたもののどうもしっくりこず、まずはソフトコンタクトレンズを着用。
ソフトレンズはかなり馴染みが良いため、すぐに慣れた。
ただソフトレンズって空気を通さないかつ眼に張り付くので、眼によくないということで、コンタクト屋さんや医者にハードレンズを勧められた。
経済的にもハードレンズのほうが良かったこともあり、また大学生になって、ぱっと外せて水道水で洗える楽さに惹かれてハードレンズデビュー。
ハードレンズのほうはソフトと違いかなり最初ゴロゴロするのだが、これも一週間程度で慣れたのを覚えている。
たぶんソフトレンズでだいぶコンタクトの扱いに慣れていたということもある。
そのままハードを使ったり、ソフトのカラーレンズで遊んでみたりして過ごしたのだが、どうしても耐えられないタイミングがあった。
それが、旅行、特に、飛行機を使った旅。
旅好きと言っても、仕事じゃないので飛行機に乗るタイミングなんて実はけっこう限られてはいる。
年に1回とか、2回とか。
でもその限られた時間に外したりつけたりしないといけなかったりするのがどうしても嫌だった。
ぼやけて見える世界遺産がどうしてもどうしても、嫌だった。
ふとした瞬間に、世界の機微を見逃している気がしていた。
それが僕のレーシックをした理由。
親にも何も言わず、知り合いに相談することもなく勝手にやった。
もう手術するとほぼすぐにピントが合って、暗く照明が落とされた休憩室の中がクッキリ見えたのを覚えている。
でもなぜか、感動とかはあまりなかった。ああ、やっちゃったなぁ、って感じ。
その感覚が何年も経った今も残っている感じ。
何十年と経って、もしかしたら失明するかもしれないなぁとか、そのときは自己責任って言われて、保険もおりないのかなぁとか、考えはじめると、ずっとあの暗い休憩室から出てこれてないような感覚になるので考えないようにしているくらいで。
たぶん本当にレーシックを考えている人は、僕があのときそうしたように、一生懸命調べたりしていると思う。
僕はやらなかったけど、リアルの親や知り合いに相談もしたほうがいいとは思う。
そしてggるなら、「レーシック難民」で調べること。
「レーシック 失敗」とかで調べると、「でも大丈夫!」的な推進企業ページに誘導されます。
僕が言えることはこれくらい。
よく考えてそれでも目が悪いことで人生の中で譲れないものがあるのなら、
ようこそ「こちら側」へ、歓迎します。
でももう戻れないから。よく考えて。
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