日々、迷走

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遺された人が自殺の理由を考えても

無駄、とは言わない。

事件性があるなら調べるべきだし、過労死やいじめなら相応の対応をすべき。

そもそも僕は犯罪を「いじめ」とか「パワハラ」みたいな言葉でひとくくりにするのが好きではないけど。まぁそれは別の話として。

ただ、本当の遺族、故人を偲ぶ人が、自殺に対して「あのときこうしていれば」と考えるのは、ほどほどにしておいたほうがいいと思っている。

こういうところでこういうものを持ち出すと途端に嫌悪感を示す人がいるけれど、僕はすごく「すとん」と来たので、ちょっとあるラノベを紹介したい。

甲田学人さんの「断章のグリム」8巻、なでしこの冒頭の部分なのだけど。

女子高校生が飛び降り自殺したシーンで、その幼馴染の男の子が、冷静にその自殺を分析するくだりがある。

「きっと発作的、あるいは衝動的なものだったに違いない。間が悪かったのだろう。~そのときたまたま嫌なことでもあったか、何かが重なって、情緒不安定になり、そのまま激情にかられて衝動的に飛び降りたのだ」

「きっと彼女本人も、今ごろ天国か地獄で後悔し、自分に腹を立てているはずだ。」

(だいぶ省略あり)

 

というような内容。(気になった方は読んでみてけろ)

もちろんこれはフィクションだし、現実の自殺がみんなこういう簡単なものではないだろうけれど、実際「事故的な」ものだよなぁ、というのは、わかる気がする。

飛び降りたからって、手首を切ったからって、薬を飲んだからって、必ず死ぬとは限らないし、最後の最後は事故というか、運みたいなものかなと。

踏みとどまる運かもしれないし、スパッと死ねる運かもしれないし。

それと本当に本当に完全に鬱状態の人というのは、死ぬ衝動にすら駆られないそうで、よく言われる、「回復してきた頃が危ない」というのは、僕の知り合いだった人でも実例があったりする。

ずーっと鬱で何もできない状態だった人が、やっと医者と普通にしゃべるくらいはできるようになって、動けるようになったから死んだとか。

心の病気とは、「そういうもの」なのだなぁと、冷静に思ったものである。

どちらに転ぶかなんてわからないし、回復に全力を向けたつもりが死につながったり。

「あのときこうしていれば」で「こうした」未来が、幸せな未来とは限らない。

ある意味酸っぱい葡萄理論だな。

 


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