日々、迷走

ミドサー女が日々を迷走する雑記。音楽、海外、IT、ドラマ、アニメ、映画、等々。Twitterやってます。@moon_tuki

宗教はなぜあるか

政治と宗教の話はご法度、とは言いますが。

まぁ特定の宗教をあがめたりDISったりする記事ではないのである程度目をつぶってもらうとして。

 

僕はたぶん大多数の日本人と同じく、特にどの宗教に傾倒するわけでもない、クリスマスになればケーキ食べたり、お正月になればおせち食べたり初詣行ったり、人が生まれればお宮参り、人が死ねば寺で供養の、宗教的にはだいぶ薄味の人間。

こういういろんなものを雑食に食い荒らすのを「無宗教」って言うのかどうかっていう哲学的な話はともかくとして、本気で神や仏を信じたりすがったり恨んだりってことはあまりない。

まぁなんとなく一番しっくりくるのは「八百万の神」の考え方か な。

いろんな性格のいろんな神様がいろんなところに宿ってるって素敵だなぁと思う。

 

そんな中でも、「神にすがる」のもわかるな、と思うのが、海外に行ったとき。

例えばインド。

カースト制度がいまだに色濃く残っていて、最底辺の人たちにとって、ほどこしに恵まれるか、事故にあわないか、病気にならないかで、今日生きるか死ぬかが決まる。

「がんばれば救われる」という世界じゃないし、そういう思想もない。

全ては神の思し召しだし、ほどこしをする方も、ある意味「天啓」のように、あたりまえのようにお金や食べ物をおいていく。

かわいそうだと思ってとか、自分に酔ってとか、神がみてるからとか、そいういうのじゃなくて、ああ今ほどこしをすると きだな、と思ってするという。

なかなかわからない感覚だよね。

でもそうやってなりたっているってこと。

自分が生まれたときからカースト最底辺だったとして、教育も受けないまま、乞食に生きる生活をしていたとして、今自分がいるような、行こうと思えばどこにでも行ける世界なんて、想像さえつかないと思う。

完全に神が社会に根付いた状態というのをこうして目の当たりにすると、宗教が必要なこともあるなぁと思う。

だって彼らにとっては、祈るしかないのだもの。

死ぬほどつらい、そして本当に死んでいく理不尽を、宗教がフォローしている。

それが幸せかどうかとか、正しいかどうかではなくて、生活に根付いた信仰の対象が心のよりどころになることもある。

つらいとか理不尽とか書いたけど、実際カースト最底辺だからって日本人の誰より幸福度が低いかってそういうわけでもないしね。

それまでにもたくさんの途上国にも行っていたし、先進国だって日本にだってたくさん路上生活者などはいて、色々な種類の格差社会や宗教を見てきたけれど、インドのカースト制度を目の当たりにして、宗教の意義を強烈に理解した。

 

もう一つ、今度は格差とかではなく、赦しの話。

以前日本でも交通事故で死なせた相手の家族が敬虔なキリスト教徒で、頭を下げに行った加害者家族が逆に「あなたも大変だろうけれどがんばって」と被害者家族から励まされた、という記事が話題になったよね。

記事の内容自体は賛否分かれるというか、後味悪い気分になる人もいる記事なので読むかどうかは自己判断で。

URL⇒http://news.nicovideo.jp/watch/nw761274

実際キリスト教くらい大きな宗教になっちゃうと、洗礼を受けていたとしてもそれこそ葬式のときしか教会にはお世話にならないようなクリスチャンを名乗っていいのか謎な人から、毎週日曜礼拝に行き、何かあると牧師さんに教えを乞いに行くクリスチャンの中のクリスチャンまで、 そして宗派もカトリックプロテスタントに収まらない多種多様なクリスチャンがいるわけで、今から書く話はその中でも一部のクリスチャンの話でしかないのだけれど。

彼らの赦しは本当に怖いくらい凄い。

先述のインタビューでも「凄み」って表現していたと思うけれど、事故の加害者だけでなく、人殺しとか、強盗とか詐欺とか、明らかな悪意でさえも、「悪いのは行為そのものであり、その人が悪なわけではない」という教えなんだそう。

それはたとえば殺された被害者に対して遺族が愛がないとかではなく、「罪を犯したことのない人間はおらず、大小関係なく罪をお互いゆるしていかなければならない」という教えとのこと。

まぁ一種の怒りを抑える手段なのかもしれないね。目には目をでやってたら人類滅ぶでしょ、っていう。

それでも加害者家族を気遣うまでの精神力になれるのは、宗教のすごさというか、そこまでの人間になりたいかって言われると微妙なとこではある。

宗教ってとても人間臭いものだと思っていたけれど、そういうとき怒り狂ったり泣き叫んだりしないことがはたして人間的なのかって考えると、神が「補完」された人間というのは、どこかで歪みが生じる気もする。

 

僕がここで書いたのはもちろんその宗教のほんの一面のほんの一部の話であって、もっと深く複雑なものだと思う。

ただ、今まさに戦争の元にもなっている宗教自体の必要性への疑問は、いま のところそういう理論で理解しているところ。


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