日々、迷走

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ジブリが教えてくれること(魔女宅見てた)

先週に引き続き、今週の金ローもジブリでした。

魔女の宅急便

特に古めのジブリは本当に何度見ても飽きないね。

魔女宅も好きなシーンがいっぱいあって、そのときの自分の気持ちとか状況によっていつも気になるシーンが違うのだけれど、今回見ていてとても心にきたのはウルスラがキキの横顔をモデルに絵を描いているシーン。

ウルスラ 「魔法も絵も似てるんだね。私もよく描けなくなるよ。」
キキ 「ほんと!? そういう時 どうするの?」
ウルスラ 「ダメだよ、こっち見ちゃ」
キキ 「私、前は何も考えなくても飛べたの。でも、今は分からなくなっちゃった。」
ウルスラ 「そういう時はジタバタするしかないよ。描いて、描いて、描きまくる。」
キキ 「でもやっぱり飛べなかったら?」
ウルスラ 「描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり。昼寝したり、、何もしない。 そのうちに急に描きたくなるんだよ。」
キキ 「なるかしら」
ウルスラ 「なるさ」

ってところ。

お互いが、「描けなかったら」「飛べなかったら」という食い違った言葉を使っているのに、がっちりかみ合った会話で、自分は元々描けないし飛べないけれどなんとなく被る部分と、それでもそこまでのものは持ってないっていう被らない部分があって、なんだかすごくまぶしい会話だなぁって。

そしてこれはとても有名な話だけれど、キキとウルスラは同じ声優さんが演じられている。(高山みなみさん)

意味も解釈も色々ある中で、僕は一種の「自問自答」かなぁと思っていて、頭ではわかっていることをちゃんと声に出して意思疎通を自分の中でさせることが、成長になってるのかなと思っていたりする。

魔女宅でよく議論になるのが、「キキはどこで魔法を失ったか(弱まったか)」っていう考察だと思う。

僕の考えは、キキがトンボに飛行船の中を見せてもらおうと誘われたとき、ほかのトンボの友人(特に女の子の友人)の手前、ふてくされて帰ってしまうあたりだと思う。

あのシーン、昔から見るたびに心が痛くなるというか、僕も小さい頃からあんな感じで、人が仲良くしているのをふてくされてみているような子供だった(し今もそうかもしれない;;)から、すっごいそのキキの気持ちはわかる。

キキはすごくわかりやすく、優しくされれば嬉しくなって、邪険に扱われれば機嫌が悪くなるけれど、きっとみんなそういう部分は持っていて、例えば相手に悪気が全くなくこちらの癇に障ったとき、いかにその相手や周りの他者とうまくやっていけるかっていうのは、人間に与えられた一つの課題なのかなと思ったり。

13歳くらいってそういう機微がわかってくる時期で、キキ自身も 「ジジ 私ってどうかしてる せっかく友達ができたのに・・・ 素直で明るいキキはどうしたのかしら?」 って自分で言うくらいには、もやもやした気持ちが残ったってことなんだよね。

 

あとはジブリ作品はどれもそうだけど、スタッフロールバックのエンディングが素敵だよね。

魔女宅の場合もほかの作品に多い「後日談」のようなエンディングなんだけれど、トンボのサークルを手助けしたのかなぁと思うようなシーンがあったり、キキの恰好をした小さな女の子とすれ違ったり、何より、その後もデッキブラシで飛び続ける様子がいい!

最初は自分でつくった「かわいい」ほうきを推していたのが、周りと仲良くしながら自分を確立していく様子は、最初の方なんだかよくわかんなかった「魔女の修行」の意味を理解できる感じがする。

またきっと次の金ローは2,3年後とかなのかな。

実際見るかもわかんないし、見たとして感じ方も違うのだろうけど、名作として何年かごとに放映してほしい作品だよね。


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