日々、迷走

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米津玄師が超えられないハチの影を想う

未だに米津玄師が元ボカロPの「ハチ」だった、というのを知らない人が多いらしい。
やはりメジャーデビューというのは物凄い裾野が広がるのだろうね。
ボカロPだった頃に見向きもしなかった人が、今や当たり前に米津玄師を日本のトップアーティストとして崇めるのを、なんとなく冷めた目で見てしまう、腐った心根を持て余している。

そして腐りついでにあえて「本当のこと」を書くなら、米津玄師はまだボカロPだった頃の曲のクオリティを超えていない。
それは、初音ミクという、圧倒的な魅力に追いついていないからかもしれない。
元々、米津玄師自身が、自分で表現するよりプロデュースするほうに長けているからかもしれない。
ひとりでやっていたボカロP時代と違い、色々な人と関わって音楽を作ることで、ノイズになっているのかもしれない。
理由は分からないし、ひとつではないかもしれないけれど、ハチの時の研ぎ澄まされた美しさや卓越したオリジナリティに、まだ米津玄師の曲では出会っていない。

もちろん、LIVEに行ったり、CDを買い集めるくらいには、米津玄師のことも好きだ。
でもきっとそれは、「未来の米津玄師がきっとハチを超える」という期待を込めて、という部分もある。なんかすごい偉そうだけど。
ハチを知っている分、その「のびしろ」が見えているというか。
もっとすごいものが出てくるだろう、だって羅刹を作った人だもの。christmas morgue を作った人だもの。
あの感動を、衝撃を、もう一度聴きたい。

と、思いつつ、もう出てこない諦観も同時に併せ持っている。
それは僕自身老いで感性が鈍ったとか、米津玄師が単純に僕の好みの軸から外れてしまったとか、とてもありきたりで、つまらない自業自得に、ただ自分自身を諦めているに過ぎない。


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