日々、迷走

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大坂なおみ選手のパフォーマンスに諸手を挙げて賛同できない理由

黒人差別や理不尽な警察官の暴力で亡くなった人の名前をマスクに書いてインタビューを受けた大坂なおみ選手の行動について、熱狂的な指示を集めているように見える。

大坂なおみがマスクに遺した7人の犠牲者。勝ち続けることで貫いたもの【全米OP・画像】 | ハフポスト
これはアメリカ国内に限らず、日本の報道各社がこぞって取り上げた他、いつも報道系とは一線を画した論調となるインターネット上も概ね賛同だったと思う。

僕自身も反対という訳では無いものの、今後東京五輪をやるとして、こういうパフォーマンスが受け入れられるべきかについてはかなり慎重派。
懸念は大きくふたつある。

1. どこまでokなのかの線引きや安全性の保証ができるのか

人種差別をしてはいけない。
これは全世界の共通倫理としていいと思う。
ただどのレベルから、人種差別への抗議ととるのかは千差万別だと思う。
今回はアメリカという大国の、警察官という一種の公権力の事件だったから、こんなに賛同者も多いし、大坂なおみ選手自身の安全性もそこまで脅かされていないと思う。
今後こうしてスポーツ選手の思想パフォーマンスが許されるとして、
・小国の人種間抗争はそのスポーツ選手側の主張が正しいと判断できるのか?(スポーツの強さが政治的影響力に直結することになる?)
・例えばウイグルや香港台湾問題を取り上げた人がいたとしてその人自身やスポーツ大会自体の安全は保証できるのか?(下手したらスポーツ観戦が命懸けになるリスクもある)
・そもそもどこまでの主張はokなのか?
なんでもokになったら、ヘイトスピーチや国境問題、宗教問題もスポーツに持ち込むことになると思う。
差別問題だけok、と言ったって、差別というのは政治や宗教と大いに関わっていて、例えば「在日朝鮮人が日本で差別されている!」とかでもokということになる。

差別があることを容認しているのではなくて、それをスポーツに持ち込んでスポーツの本質や安全性に支障が出る可能性があるなら、スポーツの祭典ではスポーツ行為以外の全てのパフォーマンスを禁止するのは一定の意味があるとは思う。

2. 忖度が発生しないか

正直、今回の大坂なおみ選手の相手の選手(決勝に限らず)、手を抜いた可能性はあると思う。
明確な意志を持って手を抜いてなくても、心のどこかでパフォーマンスが引っ掛かりになっていたかもしれない。
初めに「7枚のマスクを用意している、決勝まで進んで全部メディアに見せたい」みたいなことを言っていて、それってスポーツマンシップ的にどうなんだろう、って思った。
相手じゃなくたって、例えばフィギュアスケートの審査員への心証とか、微妙な審査がありうる審判の心証とか、人間なんだからいくら公正に判断しようとしても邪念が入ることはあると思う。
パフォーマンスはそれを明らかに助長する。


僕も人種差別にはもちろん反対で、理不尽な公権力の暴力は即座に無くなるべきだと思う。
黒人差別が今はフォーカスされているけれど、僕ら黄色人種なんて黒人より扱いは下だったりするし、海外旅行してて「なめられてんなー」と思うことなんて死ぬ程ある。

ただ、スポーツの祭典でそれを主張するかは別。
スポーツ選手が自分の名前や功績を使ってスポーツの祭典とは別の場所で主張することも出来るはず。
東京五輪がまた別の意味でも危険な大会になるのでは、と少し怖い。


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