歴史小説家、武川佑さんの、「異常がないけど子宮全摘した。」記事を読んだ。
タイトル衝撃的だなと思って、記事本文を読んで、衝撃的だと思う理由を考えて、自分も
周囲の「ええ~……」という反応はあった。どことなく憐みというか、(まああなたが決めたんなら……いいけど……)(後悔しないかしら……)という憂い。
という「糞面倒くさい」一人であるのだろうと感じた。
だってこれ読んだ時の率直な感想、「筆者年齢おいくつなんだろう」だもん。(81年生まれとのこと)
その決断ができるのは、何歳になった時なんだろう、っていう興味。
筆者はずっと子宮取りたいって思ってて、たまたまこのタイミングで卵巣嚢腫が見つかってついでに、ってだけかもしれないけど、20代半ばとかだったら本人が迷ったり医師が難色を示したり周りが必死に止めたりするんじゃないかなと。
迷いや周りの反応には、
子宮という臓器そのものの機能を失うこと
と
自分の一部を(異常や生体移植などの事情なく)切り取ること
2つの解釈がありえるとは思うものの、後者に関してはPMS等の不具合は出ているわけで、「異常なし」っていう検査結果はあるけど本人的には異常事態だったと考えるのが適当だと思う。
そうするとやはり前者に関連する、つまり子供を作れなくなることへの決断が主軸の迷いや反応になるわけで、もう社会を超えた、生物的・本能的な反応の一部ではないかなと感じた。(玉ヒュンならぬ子宮ヒュン?)
だから悪質な反応を許容すべきであるとか、仕方がないとかではなくて、理性でカバーしてこその人間であって、本能に生きてたら社会も立ち行かなくなるし、武川さんのnoteは同様の悩みや希望を持つ人にとっても、「糞面倒くさい」人の気づきの意味でも有用だとは思う。
ところで、異常なしと検査の出ている臓器を本人の意思で取り出してしまうというのは、医師法とかの観点で問題ないのだろうか。
美容整形とかもok(骨?削ったりもあるし)だからokなのかな。
臓器売買とか闇取引の火種にはなりえたら怖いけど、それもただ、知らないことに対する恐怖がやんわりと忌避感になっているだけかもしれない。
特に関連はしていないけれど、連想でもう少し書くと、日本での女性医療の軽視を提起している国外ルーツの医師のツイートを同時期に読んだ。
海外から来た医師として、私も日本での女性医療の軽視を感じます。
— Dr Rennick 🇯🇵在住🇦🇺人医師 (@NicholasRennick) September 29, 2021
日本は医学のレベルがとても高くて、皆保険制度は素晴らしい。他の国が出来ない事を、日本の医療制度は色々出来ています。でもなぜか女性が関係している医療になると、その医療制度の力が抜けているように見えます。
(続) https://t.co/us6aN8NreX
子宮全摘については海外ではどんな反応になるのだろう。
PMSが重いなら全摘も普通にあり得るのか、もっといい薬が認可されていて医療費の負担も軽かったりするのか。
とりとめもないけどもう一つ、トランスジェンダーの方が女性→男性になる場合に子宮や卵巣を切除する性転換手術を行うそうで、言ってみれば先と同様「異常がない臓器を摘出」にはなる。(性同一性障害は一種の障害なので異常の有無はグレーとも言えるけど)
中には、自身がトランスジェンダーと思い込み、性転換手術を受けたり、法的に性別変更をしたものの、「戻したい」と思うパターンがあるという。
性別変更後「元に戻したい」 同一性障害、こんな悩みも:朝日新聞デジタル
性転換手術をさくっと悩みもせずやるってことはないわけで、こういう先例を見ると、少なくとも自分自身に関しては(自分の決断に自信がもてないから)不可逆な手術には慎重になる。
自分自身の身体、自分の1回の人生、多種多用な情報に触れて、いろんな選択肢をもって生きられるのはいい時代だと思う。
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