日本語があっている間違っている、の基準というのは意外と人によってばらつきがあるもので、年齢とかお育ちの良さとか、そいういうものでひとくくりにできないなと思うことがある。
この「元気をもらう」という表現も人によっては「日本語としておかしい!」と目くじらを立てたくなる表現なんだそうで、そう知ってからは僕もできるだけ使わんようにはしておこうって思ってはいるが。
という言い回しからわかると思うけれど、僕はこの「元気をもらう」とか「勇気をもらう」みたいな表現は特に日本語としてどうのとはあまり思わない派。
どうのと思っている派のご意見がこちら。(例としてね。) デイリー新潮「「勇気をもらいました」「感動を与えたい」コメントに感じる違和感 梶原しげるさんが解説」
この記事に一点共感できるのは、『役者や芸人ならいざ知らず、スポーツ選手の方は、見ている側の感情にまで配慮なさらなくてもいいような気もします。』ってところ。
「見ている人に感動を与えられるようなプレーをしたいと思います!」って高校球児が言ったらちょっとイラッとくるかも。特に僕野球観戦嫌いだし。(完全に私見)
見てた人が「感動をもらいました!」って言うのもなんかへんかな。
感動が変な感じなのかも。 勇気とか元気ならok。これも完全に私見。
なんかとりとめがなくなってきたけど、「元気をもらいました」に『定番のコメント役』のレッテルを貼ってしまうのは、いくらなんでも乱暴すぎるとは思う。(引用記事内にそういう発言がある)
言った人は、さすがにほんとに元気にはなったと思ったから言ってるんだと思うよ?うん。
日本語としてひっかかるからといって、言った人の気持ちまで読み取ろうとしないのは、あまりに考え方がひねているのではないかと。
そしてさらに「勝ちに行く」「結果を出す」については、僕はとても日本語的で好きだったりする。(引用の中ではこの表現は『陳腐でプア』なんだそう)
『「勝ちに行く」も正確には「勝とうと決意して試合に臨む」ですし、結果にはいい結果も悪い結果もあるのですから、正しくは「いい結果を出す」です。』だそうで。
どちらかというとその「正確」なほうが、「陳腐でプア」に見えるけどなぁ。
若干語弊があるけど、「勝ちに行く」とか「結果を出す」って、暗喩的な表現だと思うんだよね。
「勝ちに行く」って言うと、点数的な勝ち負けだけじゃなくて、試合の全体的な評価として「勝ち」を取りに行く、みたいな意味に聞こえたり、 「結果を出す」ってのも、(素晴らしい/とんでもない/今までにない最高の/自分が満足できる)結果を出す、っていう、ただ「良い結果」っていう意味以外の意味が入って聞こえたり。
たぶん言った状況によってそれも変わってくるんだろうけど、自分で「素晴らしい結果を出します!」ってなかなか言えないから、「結果を出します!」で、お互いに通じ合うってこともあるんじゃないかと思う。
それももちろん私見だから、やっぱり冒頭の「感覚のばらつき」でしかないんだろうけれどね。
同じ日本語でも、お互い少しずつ違うニュアンスの中で、歩み寄っていくしかないってことなんだと思う。
最後に、「元気をもらう」話の中で、僕の大好きなコメントがついている記事がこれ。
http://d.hatena.ne.jp/Mickie_Grace/20110109
“ 根本的に日本語の「元気をもらう」という表現が変でしょう。もらったのなら、あげたほうは元気が無くならなくてはエネルギー保存の法則が成り立ちません。”
エネルギー保存の法則かぁ! 参りました(*´з`)
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