日々、迷走

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追憶の読書記録

今週のお題「読書感想文」
きっと読書感想文って、普通小学生の夏休みの宿題を指すのだろうから、少しズレているかもしれないけど、読書感想文と聞いて思い出した思い出話をひとつ。
なお、楽しい話ではないのでご了承の程。
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僕は中高一貫校出身で、なんと6年間現代文の教師が同じだった。
理系科目ならともかく、現代文がずっと同じ教師というのは、人生においてわりと大きめのディスアドバンテージだと思っている。
その教師は僕が卒業した後すぐに定年で引退したくらいの年齢で、それはそれは頭の固い人だったと記憶している。

その教師が課していた課題のひとつが、読書記録という、読書感想文の短いものを年間を通してひたすら書かせるものだった。
A4用紙1枚あたり5冊分くらい、記録用の表が印刷されていて、ふたつ穴パンチで空いた穴に紐を括り付けて冊子にしていく。
読んだ期間、タイトル、著者名、出版社、出版年、ページ数、〇△×みたいな評価、100字くらいで感想を書く。
受験前の高校3年には書かなかったと思うから、たぶん中1から高2にかけて5年間書き続けて、年の終わりには年間で読破冊数の多い人がささやかに祝われていた。
教師は毎週だか毎月だか読書記録を提出させて、読んだと認めた本の記録にハンコを押す。
まぁ認められない本はほとんどなかったけど、ネガティブなコメントがあることがたまにあった。
小説ばかり読んでいると「哲学書や歴史書経済書も読みましょう」
哲学書のある思想についての記録に「理解できていないようですね」
一番覚えているのが、沢山読んだ週の記録の返却の際になぜか「アハハッ、3日で1000ページ(´▽`)www」って謎に笑われた時は普通に「は?」って思った。(文字だと伝わりにくいけど、バカにしたような笑いだった)

感想文に限らず、生徒が書いた文章を面白可笑しく音読する教師だったので、如何に読まれないように、目立たないようにするか、読破冊数が多くなりすぎないように調整とかしてた。

それでもなんとか読書が嫌いにならなかったのは、そんな教師の言動がわりとどうでもいいと思っていたからというのと、よく分からん教師の授業より読書の方がよっぽど自分のためになるとその頃から察していたからだと思う。
さすがにクズすぎてそこを見誤らなかったのは自分の数少ない学生時代の功績のひとつかもしれない。

そして今考えると、読書記録そのものは、あって良かったのかなとも思う。
教師に言われて当時は嫌々ながらも哲学書も歴史書も新書も手をつけたし、100字でもアウトプットすると少しだけその本が自分のものになる。
中高6年間の現代文の教師があの人だったことを良かったとは思わないけど、感想文を書かねばならぬ立場の人がもしこれを読んでいるなら、「自分が普段選ばない本を強制的に読む機会」と「本の感想を誰かが読んでくれる機会」というのはわりと貴重だったりするよ、という点はお伝えしておく。


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