日々、迷走

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大人になってからの教育

ちょっと前の話なんだけど、モヤついたままなのでここに吐き出して供養。

会社へ行く道すがらの交差点で青信号になった横断歩道を渡ろうとしたら、赤信号側の道からサイレンを鳴らした救急車が来た。
渡らずに救急車が通り過ぎるのを待っていると、後ろから男性3人組がおしゃべりをしながら青信号の横断歩道を渡っていき、赤信号をアナウンス・徐行をしながら通ろうとした救急車が急ブレーキをかけた。
3人は特に気に留めるでもなくそのまま普通の徒歩の速度で通り過ぎて行った。
3人は中国語?のような言葉を話していて、そのまま会社に向かうとその3人もうちの会社の協力会社の人間だったことがわかった。(社員証ですぐわかる)
ということがあり。

まず前提として、
3人が3人とも本当に中国人だったか
救急車が来たら道を譲らなければならない、ということを3人が知っていたか
そもそも救急車に気づいていたか(おしゃべりに夢中だったかもしれないし、徐行した救急車はサイレンも小さくなるので)
は不明です。

なので3人が悪いとか中国人はダメだとか言いたいわけではなくて、今回のようなケースの大人の教育はどこで受けられるのかな、とちょっと思ったので。(この例はマナーを越えた道交法違反の可能性すらあるわけで、教育は必要という前提として)
例えば今回誰かが3人に、ああいう時は止まらないとダメだ、と声をかけるタイミングになるのか。
誰かが会社にクレームをいれて、全社通知でもしてもらうか(弊社協力会社も入れると個人が極限に薄まる程度の人数がいるので効果は怪しい)。
いずれにしても「誰かが」積極的に動いて初めて、こういうことって教育されるのかと思うと、途方もないなと思ったり。

子供ならまだ学校で教育されるなり「子どもだからこそ」声をかける大人はいるけれど、大人になって「救急車が来たら道を譲るルールですよ」なんて、よっぽど事故になったりしないと誰も教えてくれないわけで、本人がそうやって育ってこなかったなら気づきようもないと思う。
別にこれは在日外国人に限った話ではなくて、自国から出れば何人でも外国人になるので、例えば僕がアメリカに旅行して、アメリカの法律なりマナーなりを気づかずに犯す可能性だって普通にある。
もちろん郷に入りては郷に従え、滞在する国のことを勉強するべきだとは思うけど、そういうマナーやその延長にあるルールって、なかなか勉強も難しい分野だと思うのよね。慣れるしかないというか。
あと海外に出なかったとしても子供のときに教育されないまま大人になった人も同様で、今スーパー低次元な話題になってる箸の持ち方談義も、最終的には「大人の教育の難しさ」にぶち当たるかなと。
箸の持ち方が悪いまま大人になって、「そういう人」として扱われることに本人が気づかない、という意味でね。

僕自身は、箸の持ち方が悪い人には「教育されなかったのかな」と他意はなく思う。
教育すべきだったのにされなかった、という意図ではなく、ただ「箸を正しく持つ教育をされなかったのだな」と思うだけ。
フォークとナイフの国の人だからとか、日本人だけど親が教育しなかったからとか、そういうのは興味が無い。
ただ「そういう人」と見なすってだけ。
クチャラーとかテーブルに肘をついて食べる人とかと同列かな。

最初の話からだいぶ逸れたけど、在日外国人の話に戻ると、これから東京五輪とかで旅行者も含めてまだまだ外国人が増えるとなると、少なくとも日本の法律の範囲については大人に「教育」が必要になるシーンもあると思ってて、どうするのが効果的なのか正直よく分からない。
今回の件は、同じ会社なら僕が行動を起こすべきだったのかもしれないし、救急車がどこぞの電車よろしく中国語でもアナウンスする日が来るのかもしれない。
逆に「救急車が通れないこと」を許容する社会になっていくとかもありえなくはないか。考えたくないけど。
「大人の教育」なんて面倒なことをする前に、救急車に道を譲ることも、箸を正しく持つことも、時代遅れの考え方としてなくしてしまう方が楽なような気がしてきてまた勝手に暗澹たる気分になる。(全然供養できてない)


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