日々、迷走

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精神的成熟は、ハードをソフトで補うこと

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

お酒を飲めるようになったとか、自分で自立して1人で暮らしていけるようになったとか、そういうのも確かに大人になったなと思うし、なにより自由なのが良くも悪くも大人になったと感じるとこだったりもする。
けれど、大人の定義は、やっぱり「精神的成熟」のことであってほしい、という半ば願いのようなものもあったり。
倫理的に正しい行動や判断ができるとか、感情をコントロールできるとか、周りの人とうまく関係を築くとか。
子供の頃は大人になったら当たり前にできるものだと思ってた。
実際は周りの大の大人を見ても、テレビの中の偉い人を見ても、自分自身を振り返ってもそんなことは全然できてなくて、それでもまぁ、なんとか擬態して生きてるよね、ってのが大人の実状だったりするわけだけどさ。

ところで精神的成熟は、前頭葉の働きが重要とのことで、ここが人間と動物で大きく脳の作りが違うところだったりもするんだけど、ほかの身体の器官同様、この働きも20歳くらいをピークに衰えるのだそうです。
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還暦にもなると小学生レベルまで感情のコントロール機能が下がるわけですね。
70代なんてもはや癇癪を起こす幼児と同等です。
で、ここで自分をふりかえって考えた時、流石に20歳のときよりは30代いまのほうが精神的成熟度は高いかなと思うわけ。
周りを見ても、まぁたまに60,70過ぎた高齢者の方々の前頭葉の衰えを感じる事態はあっても、20歳よりうまくやってる大人の方が多いわけで、ハードの衰えを「人生経験」なり「蓄積した知識」なりソフト面で補ってると思うのです。
そしてこれこそが「大人になったな」ってことなんだと思うんですよ。
生物学的にコントロールが難しくなることは間違いなくて、その壊れていくハードをどうやってソフトでカバーするのか。
車で例えるなら、幼児~成年になるまで暴走しながら車輪だけ▶バンパーだけ▶屋根がついた!ってやりながら走ってて、それは右へ左へ蛇行もする。
成年でやっと完成品になって、そこからは今度は劣化していく。でも、蓄積した運転技術は維持、または上がってく。
で、60,70になって、もうさすがに運転技術だけでは蛇行は免れなくて、ゆらゆら揺れながらもなんとか走る人と、暴走しちゃう人がまた出てくる、って感じかな。

僕自身、20代後半から30代になってやっと、元々不良品に近かったポンコツハードをなんとか乗りこなせるようになったな、って思う。
20歳そこそこのときは大変だったよ、まだ反抗期の延長戦みたいなことやってたもん。
新卒で入った会社の先輩にも沢山わがまま聞いてもらったり、20代も半ばになってまだくだらないことで親と喧嘩したり。
精神的に安定したなって思うのなんてここ数年。
いや、まだわかんないかな。たまたま今は環境が安定してるってだけで、また人生イベントに追われたり事件が起こったらどうなるかわからないかも。
そうやって色々経験しながら、大人になっていくんだな、って分かってきたことが、大人になったなって思う瞬間かな。

さて、新成人の皆様おめでとうございます。
今年は十分に同窓生と会えなかったり、お祝いして貰えなかったり、なかなか大変な時に当たってしまったけれど、きっとそれもまたひとつの経験になって、人生のコントロールがしやすくなる一助となると思う。
意外と日本中の大人たちが、必死に擬態しながら新成人の門出を祝っています。


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