日々、迷走

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生活保護・ホームレス自己責任論

某動画で自己責任論がプチ炎上してるらしいですね。たまに炎上する話題だよね。
つべ動画で炎上する時代かぁ、と時代の流れ側に少し感傷を覚えましたが。
僕もね、高校生くらいまでかな?自己責任論、結構支持派でした。
自分がいかに恵まれた環境にいるか認識せず、努力の成果だなんて、高校生にして思ってたわけ。
ホームレス?死ぬ気で働けばいいじゃん、お金がない?いくらでも稼ぐ手段あるでしょ、怠慢だ!
ってね。

いまはさすがに心からそうは思ってない。
なんなら、自分が生活保護にだって、ホームレスにだってなる可能性ある、って思ってる。
この感覚になれるルートというのはたぶんいくつもあって、人によって納得できるルートというのは違うのだけれど、そのルートのひとつを開示しようと思う。

僕の認識の変化のひとつになったものとして、大学で生命倫理学を学んでいたというのがある。
わりと医学とも関連が深い分野で、世界には色々な「症例」があると知った。
目に見える障害があったり、明らかに知能障害がある場合だけではなく、世の中の人というのは、緩やかなカーブを描いた身体能力や知的能力をもっていると、改めて思い知らされた。
病気も入院必須の重病だけじゃなくて、生活はできるけど15時間睡眠が必要とか、頭がずっと痛すぎて1時間も座ってられないとか、体力的、精神的な事由で週5で働くのは無理だったり、普通の人なら覚えられることを覚えておくのが難しい人等々、緩やかなカーブで存在してて。
わかりやすいのはIQ(知能指数)で、ほぼ生まれた時に能力として決まってるもので、身長とかと同じ性質だと言われている。
「普通に生活する」のが厳しいと言われているIQ70前後の「知能障害疑い」の割合がホームレスは一般より多いらしい。
普通にひとりで生活もできる、会話も可能だが、どうにも生きにくい、ってくらいの人。
身長で例えるなら、160cmが平均の中で、120cm前後で生きてる感じかな。
特に困らないけど、ちょっとしたこと(つり革とかにいちいち届かないとか、物理的に見下されるとか、歩くのが遅いとか)でなんとなく生きにくい、みたいな。
それ、120cmだから怠慢って言うか?って話で。

逆転の発想で、例えば東大レベルのIQ140集団に、ひとりだけ自分がぽんと入れられて、仕事とか同じようにできるかって話。
頭の中に計算機入ってるような連中と、どうあがいたって思考力や独創性に限界がある自分、死ぬ気でついてこうと一生もがくのたぶん無理。

例えば1日2時間睡眠で元気な集団にぽんと入れられた場合とか。
死ぬ気でやったっていつかは無理になるよ。ドロップアウトするか、本当に死ぬかの二択。

まぁIQもそれが直結で生活保護やホームレスになるものではないけど、本当にちょっとしたイレギュラーやハプニングで生活保護から抜け出せなくなることは起こりうるし、そういう因子が無かったとしても、不幸が重なって無から発生することだってある。
ある日急に病気になったり、自分の子供が重大事故を起こしてしまったり、いきなり後ろから刺されて障害負ったり。

備えておけばいいと思った人、本当に全部に備えられてる?そして、本当にみんながみんな備えられる社会だと思ってる?って話で。
この辺は想像力になるのかなぁ。

某動画の本人も、なにかひとつでもイレギュラーがあったら生活保護になる可能性、全然あると思うし、ならなかったとしてもそれは本人の努力や能力だけではなくて、運とかで成り立ってるものだと思う。
路上で寝ているホームレス、僕も見てて気持ちいいもんじゃないとは思ってるよ。
でもサポートはすべきで、そういうサポートのために、税金を払うのは正しい仕組みだとは思う。
それはホームレスの人を想っての考えではなくて、「自分がそうなる可能性」を考えたエゴイズムなのかもしれないけどね。