こうやって普通に思い出せるのは、生き延びたってことで。
特に大きな被害も別れもなくて。
僕にとっては、大学受験とか、海外旅行とかとほとんど同列の、ただの「記憶」とか「経験」でしかない。
3.11。
僕は普通に仕事をしていた。
金曜日の午後の、あの消化試合感を楽しんでいた。
それまでに、いま考えると前触れとも言える小さな地震が何度か起きていて、「それ」が起こった瞬間も、正直恐怖とか、危機感みたいなものは殆どなかったのを覚えている。
逃げ遅れる人の思考パターンだ。
その後はみんな知ってのとおり、大きく長いゆれが続き、「これはやばいぞ」と机の下に隠れ始めたのが、体感で10秒後くらいからだったように思う。
うちはシステム屋なので、揺れている中もある人はマシンルームへ走り、ある人はモニタールームで電話をとったりしていた。
ちなみに即座にマシンへ走った人は、後で会社から表彰されたらしい。
そんなこんなでうちのビルも例に漏れず被災訓練なんてどこへやら。
本当はビルから一度全員出て倒壊がないことを確認するマニュアルだったのだが、外の方が危ないと、逆に外出禁止令が出た。
なお分館がちょっと遠くにあるビルだったのだが、そちらは屋根が落ちて全員強制退去。
もうグダグダである。
結局無駄に外出禁止令は深夜まで続き、いきなり23時くらいに解除された。
歩いて帰ったよ。3時間くらいかけて。
電車は一切不通。地下鉄だけちょびっと動いてたかな。
電話は使えなかったけど、メールは普通に使えたし、Facebookとかも役に立った。
海外の友人が大慌てでいっぱい連絡してくれた。僕は大丈夫。
土日は普通に休んで、月曜日からは僕はわりと普通に出社した。
JRはほとんど通常通り。
電車はすいていた。
計画停電も結局なかったし、会社のシステム日報にも翌日から「順調」と記載されたのにはちょっと笑った。
僕が経験した震災はこれくらい。
ただの経験で、被災でも何でもないかなと思っている。
TVでさ、震災特番とかやってて。
すごい思うのが、僕、阪神淡路大震災の被災者だったのね。避難所生活した一人。
今年の1月、阪神淡路大震災の特番見かけた人ってどれくらいいるだろ。
こうやって忘れられていくんだなって思う。
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