日々、迷走

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大きな悲しみは憎しみに変わることもある

同性愛、僕はそもそも「賛成」とか「反対」とか言える種類の話ではない、と思う派。

同性の結婚も普通に法律に組み込めばいいと思うし、なんていうか、そんな特別扱いするものでもなくね?と。

ただ、迫害される理由についても、ただ迫害する人を貶すのではなくて、ちょっと考えてみるべきかな、とも思う。

なぜただ他人が他人の好きなようにしているだけにもかかわらず、何の害をこうむっているわけでもないにもかかわらず、迫害する側というのは迫害にまわるのか。

宗教でも思想でもそうだけど、ただその人が「思っているだけ」のことに、なぜ他人から口を出されなければならないのか、っていう。

その理由のひとつとして、悲しみがあるのかな、とか。

もしかすると、脅威かもしれない。

例えば、自分が多数派と言われる異性愛者だとして、誰かを心の底から好きになったとして。

好きが最高潮に達したとき、その相手が同性愛者と知ったとき、自分は何を思うだろうと。

きっと越えられない壁に悲しむのではないか、とか。それが憎しみになることも、ありえるのではないか、とか。

自分がそういう性質じゃなかったとしても、そう思う人がいてもおかしくないのではないか、とか。

男女間の恋愛でさえ障害が出ると殺したり殺されたりが出るのだもの。

同性愛者全体を嫌いになる人がでてもおかしくないとは思う。

ま、嫌いだからって迫害するなよ、とは思うけどね。それは人類の業だよね。

宗教や思想の影響が少ない日本だからこそ、同性愛もばくっと「普通にある」国でありたい。


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