日々、迷走

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新型出生前診断のマンガがバズってる件

Twitterで、「出生前診断をしなかった妊婦の話」というマンガがバズっている。
全5話の、今2話かな。色々議論のあるマンガということもありリンクはしないけど↑のワードで検索すればすぐ出るかと。
妊婦さんやトリソミー関係者の方は今時点では読まないことをおすすめするけどね。(この記事も然り)

※久々の安産わんこ写真
以前書いた通り、自分は新型出生前診断(NIPT)を受けた側の人間。
moontuki.hatenablog.com
第二子もできれば産みたいなとは思っていて、高齢出産にもなるので、もしまた妊娠したら受けると思う。
我ながら、なぜ受けたいんだろう、と熟考する。
もちろん第一子のときも熟考してから受け、結論を出してから結果を見た。
↑のマンガは今のところ、「人生が終わる」とか「生産性がない」みたいな言葉を使っている。
別に障害児が生まれても親の人生は続く(終わらない)し、生産性なんて突き詰めれば誰も無いと思う派(人間の生きる意味なんて自己満足の域を出ない)なので、その意見には懐疑的なものの、だったら、自分がNIPTを受け、さらにもし異常が見つかったら中絶を選択するであろうと明言するのは矛盾だろうか。
件のマンガの引RTには、「そもそもNIPTを受ける(た)という話自体、夫婦の間で留めておくべきことで、マンガにすることはおろかTwitter等で受けただのなんだの公言すべきではない」という人もいた。
これについては、自分は自分が受ける前に、先人がNIPTを受けた(もしくはあえて受けなかった)というツイートなりブログなりを散々読み漁って自分の決断の糧にさせてもらったので、個人的には色々な意見や経験談の投稿は助かったけどな、という感想。(それがあったから自分も体験談を投稿している)
自分が過去も未来もNIPTを受け、その結果中絶も有りうるのは、「確実に起こる苦労や心のマイナスな激情を予め取り払っておく」感覚かもしれない。
あえての苦難の道は選ばないというか。
産まれる前の陽性(トリソミー等)の胎児にとっては選択の余地すら与えられないわけだけれど。
そもそも子を成すこと自体が親側の勝手で作ることも作らないこともできるわけで、中絶が認められている22週までは理由はどうあれ親側の都合になってしまうのは致し方ないのかな、という感覚がある。
つまり選択的子なしと、経済的事由等の中絶と、トリソミー発覚による中絶が、「親の都合で生まれて来れない命」という意味で自分にとっては同列なのかなと思う。
突然起こる事故(出産時の新生児仮死等)や産前に検査しようのない障害(自閉症等)は、親の都合の域から離れた後の子の生き方、という別物のイメージ。
これは自分自身、これが正しい考え方だ!と自信を持って貫いているものでもなくて、あえてNIPTを受ける言い訳をするならそういう感覚かな、という程度。
絶対違う!と言う人の意見もあると思うし、言うて障害児の親になりたくないだけでしょ?その確率を減らしたいからでしょ?と言われればその通りなのかもしれない。
重度障害児の親の手記で「障害は個性であり、障害が無くなったらその子ではなくなってしまうと言う親もいるが、障害なんて無いにこしたことはないのが本音」と読んだことがあって、まぁそうだろうな、って印象に残ってるのもあるかも。
マンガはどこに着地するんだろうな。
作者さんのツイート的には、なんとなく不穏な着地をしそうな雰囲気だけれど。
NIPTを受ける側のいち意見(スタンス?)としては、あくまで自分が産み育てるかどうかの勝手として受けるのであり社会から障害児を排除したいからではないよ、検査で分からない障害等々がいくらでもあることについても重々承知の上で受けてるよ、って感じかな。
実際自分の子供が生まれてみて、無事生まれたからもう安心!なんてことは全くないのを感じてる。
ほんの次の瞬間になにか悪いことが起こるかもしれないって、常にビクビクしてる。
家で大事に大事に育てたいけれど、いろんな刺激や経験を与えてあげないと、っていつも葛藤してる。
自分の親も、こうして葛藤しながら育ててくれたのかなとか、親の立場になって気づいたこととか、まだ新米母だけどたくさんあって、自分自身が赤ちゃんからすごい経験をさせてもらってて。
そこはきっと障害の有無で変わるわけじゃないだろうから、件のマンガもそういう所は表現されるといいなとは思う。(勝手だけど)


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